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驚愕の方法!FX365日ほったらかしにす....

えっ?365日ほったらかしで大丈夫!?負けないFX運用・FXで起業・FXの簿記....







山田直樹 新型うつ病改善プログラムにっこりワークショップ&すっきりメディテーション






今、精神科を受診する人の4割以上が「新型うつ」であることを知っていますか?

















※35日は私自身が改善を実感できた日数ですが、完治させる期間は人それぞれ現在の状態により異なります。うつ病は改善させる為にある程度の時間をかけて治して頂くのが理想的です。改善まで90日間程度と考えて頂ければ心の負担無く実践できると思います。また、私のトレーニングを実際に実践した方の中では最短で約2週間で大きな改善をみられた方も実際にいらっしゃいます。
※当商品は全ての方に効果があることを保証するものではありません。病気には様々な症状・病状があり、効果には個人差があります。




※後半に私からの動画メッセージがございますので是非ご覧下さい。

私に3分お時間を下さい
この手紙は、自分が情けなくて涙を流すあなたを笑顔に変えることをお約束します



うつ病を改善し、笑顔あふれる毎日を送り始めるあなたへ。

この手紙を読んでいただいているあなたは、うつ病で毎日を悩んでおられるも、
絶対に改善したいという強い気持ちを持っておられる方だと思います。

では今から大切なことを申し上げます。
そのお気持で正しい改善方法を実践すれば、うつ病は改善できます。

残念ながら、どのような病気でも治そうとする気持がなければ治りませんし、
薬では病気を根本から治癒させることもできません。
さらに残念なことが、
治そうとする気持があっても、間違った方法であれば改善の兆しがないどころか、
逆に悪化してしまう可能性もあるのです。

では正しい改善方法というのはどのようなものなのでしょう。

こんにちは!うつ病改善アドバイザーの山田直樹と申します。


私も経験したこれらの症状は、従来のうつ病と少し異なる症状を持つことが特徴
『新型うつ』といわれる病気なのです。

聞きなれない病気かもしれませんが、
現在、精神科を訪れる人の大半がこの病気だといわれています。

この病気は、従来のうつ病と同じ薬を飲んでも効果がでないことが多いので、
病院に行っても正しい治療、診断をしてもらえず、その上、家族からも「わがまま病」などと片づけられてしまうと、ご本人にとっての苦しさは、逃げ場のない、ひょっとすると、もう「死」を意識した毎日を過ごすしかなくなるのかもしれません。

私自身がご本人と同じ気持ちだったので、それは胸が痛むほどよくわかるのです。

ですがもしここに、


1日たった9分のトレーニングを自宅で行い、わずか35日で大幅に新型うつ病を改善したプログラムがあるとしたら、あなたは試してみたいと思いませんか?

それも、
震災の恐怖とストレスで、疲れ果てた私に追い打ちをかけるように現れた
「うつ」の症状に日々苦しみ、生きる力も無くなりかけた私が見るみる改善し、
その後さらに研究を重ね、医者も首をかしげるその症状の原因を解明し、
現在この方法で講演やセミナーによって、同じような病気で苦しんでる方を
正しく短期間で改善させているとしたら、

あなたも、是非試してみたいと思いませんか?

この正しい改善方法を今すぐ試す

私は「うつ」を改善させた方々が自らも知らずに実践していた
ある
共通した法則を見つけたのです。

この発見は今後、うつ治療の進歩に貢献する嬉しいヒントになるかもしれません。

到底、病院などでは教えてもらうことはできません。
なぜなら、病院が認める事になればうつ治療の現場が根本から変わってしまうからです。

今からこの手紙を通して、私の人生を救った新型うつ病改善プログラムのすべてをお話させていただきます。

もちろんまだ「新型うつ病」と診断されていない場合でも、先ほどのような症状がご本人に出ているのであれば、是非この続きを読んでみてください。

私の人生を救ってくれたこの新型うつ病改善プログラムが、うつ病に悩む一人でも多くの方に活用していただき、幸せな人生を歩み始めてくれれば、私にとってそれ以上の幸せはありません。

早速、あなたに新型うつ病改善プログラムのお話をしていきたいのですがその話をする前に、まずは私がパニック障害を発症し、その後うつ病を発症・改善するまでに至った経緯を少しだけあなたにお話させていただければと思います。





あの時の事を思い出し、人に話すのはもうこれっきりにしよう…
何度そう思ったかしれません。

それは、震災直後に発症したパニック障害で疲れ果て、さらに追い打ちをかけるようなうつ症状で周囲の人の信用をなくしてしまい、
どこかで地震が起こるたびに、また病気になるのでは、と、何かに怯えながら過ごした時の記憶を鮮明に覚えているからです。

辛かった時のことを思い出し、話をすることは誰しも勇気のいることです。
そして、私の両親はこの時の私をすべて知っているわけではありません。
後に知ったからこそ、今になって私の事を心配し始めるかもしれません。
しかし、私がこの時の事をお話しすることによって、うつ病で悩む方の苦しみが少しでも楽になり、少しでも勇気づけられるのであればと思い、お話する決心をしました。

それではお話を始めさせていただきます。

私は昭和40年、大阪のごく普通の一般的な家庭の長男坊として生まれてきました。
父と母、それに兄弟は弟が一人の4人家族で、小さい頃から活発で、小学校の時よりクラスではリーダーシップをとるような存在でした。

勉強はどちらかというとあまり得意ではありませんでしたが、
生まれ持った運動神経の良さを活かして、高校卒業後は体育の専門学校へと進みました。
卒業後は、大阪でも有名といわれるホテルに就職し、職場でも上司や先輩に可愛がられ、仕事をしているのがとても楽しかったのを思い出します。
そして、私が25歳のとき結婚。

これからの自分の人生に期待して毎日を楽しく過ごしていました。





結婚してしばらくは、実家の近くに新居を構えて暮らしていたのですが、
その後2年ほどで神戸へ引っ越しをすることになったのです。
真新しい新築の住まいでした。
ベランダからは海と山が見え、行き交う船を見つけては子供のようにはしゃいでいた自分を覚えています。

その時は仕事も充実していて、そして子供にも恵まれ、
まさに、自分の人生は順風満帆、文句のつけどころない人生を歩んでいました。
しかしその時、そんな生活ももう終わりに近づいていたのでした。





ワクワクして神戸に引っ越してきて、楽しい生活をしたのはたったの1年でした。

1994年1月17日午前5時46分最大震度7の地震が兵庫県南部を襲いました。
後に、阪神・淡路大震災とよばれた大地震です。


震災前日の夜、私は会社の同僚と阪急三宮駅の高架下の寿司屋で酒を飲んでいました。
家に帰り、また明日もいつもと同じ朝で始まるものだと、疑うことなく布団へ入りました。

そして1月17日早朝、忘れもしないあの大地震が襲ってきたのでした。

「ぐらっ!」ときた瞬間、反射的に目を覚ました私は、「地震!?」と思うやいなや、
と、同時に小型飛行機が自宅に突っ込んできたかのような、耳をつんざく激しい音と
ふっ飛ばされそうな揺れに、私はベッド横の柱につかまって、ただ意味不明な言葉をわめいていました。

薄暗い中、冷蔵庫の上の電子レンジが平行に飛んできて、壁に穴を開けたのがわかりました。妻子は家財道具の下敷きになっているようで、2歳になったばかりの子供の泣き声だけが聞こえていました。
「生きてるかっー!!」生まれて初めて使った言葉でした。

このあと、どのようにして妻子を助け出し、住宅裏のグランドに避難したのか、
今になってもところどころ記憶がないのです。
玄関の鉄製のドアは、アルミ缶を横につぶしたようにペシャンコになっていて、
ガスが充満する室内からなかなか出る事ができなかったり、
グランドの地面は見たこともないような地割れがしていたり、
あちこちの瓦礫の下からは助けを求める声がしていました。

グランドにしゃがみこみ、パジャマ一枚の子供を温めるようにしっかりと三人で手をつなぎました。
何からどうしたらよいのか…
太陽が昇り始め、少しずつ目を疑う光景が現れだしたとき、これは地震だったのだと改めて理解できたのでした。





しばらくして私たち家族は大阪の実家に仮住まいすることになり、
私はそこから通勤する毎日が始まりました。

この時も、全壊した神戸の家はそのままで、立ち入り禁止になっていて中に入ることもできない状態でした。
この頃、私の頭にはハゲができていました。円形脱毛症といわれるものでした。

当然、地震のストレスだったのでしょう。
職場での被災者に対する接し方も、日増しに冷たいものになっていきました。

最初のうちは社交辞令も手伝って、お見舞いの言葉もかけてもらいましたが、
2週間もすれば、被災者同士でする被災地の情報収集なども隠れてしなければならなくなりました。

「まだ地震の話をしてるのか…」あちこちでそんな目に見張られているようで、
私は無理にでも明るく振舞おうと努力していました。

これが現在、多くの職場うつを作り出している現状なのではないのかと思うのです。
社会全体が人のこと、都合の悪いことはみんな対岸の火事のように扱ってしまってるのではないでしょうか。

地震のショックとそんなストレスの中、ある日、私の身体が異常を知らせました。

地震からちょうど1ヶ月たった、2月17日の朝。
私は目が覚めると「あれっ?」と、いつもの二日酔いのだるさとは違う、
やたら息苦しく、「なんだろう?」と思いながらも洗面所へ行って顔を洗い水を飲みました。

気がつけば心臓が激しく打っており、そのうち完全に呼吸ができなくなりました。
私はその場にしゃがみ込んでしまい、意識が遠くなっていくのを感じていました。

「死ぬ…」本当にそう思いました。

発作は30分ほどで治まり、私はそのまま入院することになりました。
いろんな検査をしましたが身体に異常はなく、一週間ほどで退院となりました。
しかし、同じような発作はそれからも続き、何件か病院を回った結果、私の病気はパニック障害であることがわかりました。

発作が起こるのでは、と考えると電車に乗るのが怖く、家のトイレや風呂でさえ一刻も早く出ようとしていました。
ある時、散髪屋に行って、髪を切り始めて間もなく発作が起きそうになり、そのままヘンテコな頭のままで家に帰ったこともありました。

もし、このままこれが一生続いたら、生きる楽しみなど何もない、と考えるようになっていました。





震災後半年ほどして、私たち家族は神戸へ戻ることになりました。
その頃パニック障害の発作は少し治まっていたのですが、この頃よりどういうわけか休みの日は何もしたくなくなり、夕方になると経験したことのない重い気分になるのです。

しかし、以前に数回続けてパニック発作を起こした時に、「弱い」「もっとしっかりしてほしい」と家族に言われたことを思い出すたび、今回は家族には打ち明けれない、と悩むことがさらにストレスになり、
小さな家の中に自分の居場所すらなくなっていました。

あれだけやりがいのあった仕事に行くことすらままならないようになっていました。
テレビのお笑い番組で、出演しているタレントさんたちが笑ってばか騒ぎしているのをみて、自分だけがなぜこんな苦しいのか、と考えてしまうこともしばしばで、ささいな事で激しく怒ってしまったり、誰とも口をききたくなくなったり、日によって天と地ほどの気分の差が出るのでした。

ところが大好きな釣りに行く時にはなぜか元気になるのです。
そんな私の事を家族は非難しました。
でも自分ではどうしようもないのです。

しかし、毎日の不安と苛立ちがそんな生活を長く続けることを困難にしていました。それから1年後、私は離婚することになったのです。
今思うと、震災にあわず、パニック障害やうつになっていなければ離婚などしていなかったのかもしれません。
どれもこれも運命と思うほかありませんでした。

やりきれない日が続き、あんなに頑張っていた仕事も、もうどうでもよくなって来ました。

暗い気持ちで毎日を意味なく過ごしました。
会社に行きたくない毎日、こんな気持ちを味わったのは生まれて初めてでした。

「パニックが終わったら、今度はうつかよ…何百万円かかってもいい、もとの自分に戻してほしい…」

「うつではありませんよ!」と言って欲しいがために、
何軒も病院を回りました。同じ問診をされて、同じことを答えているのに、
もらってくる薬に同じ物はほとんど見当たらなく、全部が毒薬に見えました。

当然、製薬会社の違いはあるのでしょうが、それでも、
気味が悪くて一回も飲んだことはありませんでした。

病院で「うつ」であると診断されても認めることをせず、しかし、
自覚したくないうつ症状に悩まされる日々が続きました。

ところがある日、会社から帰りの電車に乗っている時でした。
その日はいつもより遅くなり、少し疲れもあって車内で眠ってしまいました。
ふと目を覚ますと、「来た…」、急な激しい動悸と呼吸困難、忘れかけていたパニック症状でした。

私はあわてて止まった駅で途中下車しました。
発作が治まり、その電車が最終電車であったことを知ると、私は駅のベンチに座ったまま動けなくなりました。駅員さんはそんな私を申し訳なさそうにうながしました。

「俺は、なんしに生まれてきたんやろ…」

新型うつ病はパニック障害と深い関係を持っていて、パニック発作がうつ症状として現れる事は普通だということは、後からわかったことです。

小さい頃からリーダー的存在で頼りにされていた自分は、もうこのとき、どこにもいませんでした。





その後私は再婚し新しい生活をスタートさせました。
しかし、相変わらずうつの症状はいろんな形を変えて発症し、時折パニック発作もありました。

そんな時、ある日私は母校の専門学校に立ち寄ったのです。
お世話になった先生が震災のことと病気のことを心配してくれて、手紙をいただいていたからです。

先生を伺うと、たまたま先生のところに訪れていたお知り合いのお医者さんが私の話を一緒に聞いていて、
私にあるアドバイスをしてくれたのです。
その先生は実際にご自分が過去にうつ病だった経験を持ち、それを画期的な方法で、
しかもご自分で改善、治療に成功した実績をもっている方でした。

先生は私の話を最後まで聞いて、こうおっしゃいました。




先生
「それは、立派なうつ病やな。でもうつ病にもいろいろあって、気分障害に近いうつ病や。」


「えっ?気分障害…ですか。」

先生
「そうや、パチンコしてる時はしんどくないやろ?ところが会社に行こうとしたら身体が全く動かん、どや?」

私 
 「はい、そのとおりです。治るんですかね?」

先生
 「治る。簡単や。ひとつは脳が悪いんや!脳の訓練したら治る。」


 「脳ですか? 」

先生
「わしが自分で治したとっておきの方法を教えるから、今度クリニックへ来なさい。」





何もかもが面倒臭くなっていて、あきらめかけていた時でした。
そんな時だっただけに、この出会いを偶然と呼ぶにはあまりにも不思議な運命だった
と今でも思います。


後日クリニックを訪れると、先生は改善するための方法を一つずつ丁寧に私に教えて下さいました。その方法はどれもみな、私に衝撃と生きる力を与えてくれたのです。

私は、教えられたトレーニングをやってみることにしました。





そうです、1日たった9分なのです。

震災以降、パニック障害になり、それが治まったかに見えたその後、さらに辛く苦しいうつ病の症状に悩まされ、生きる力まで奪われたあのどん底の日々が、このトレーニングで本当に改善するのかもしれない。

半信半疑で始めて2週間ほどたったころでしょうか、
いつものように朝起きて決めたトレーニングを始めようと、準備をし始めた私に家内が笑いながらこう言ったのです、
「どうしたん?なんかええことあったん?宝くじでも当たった夢でも見たの?」

何年ぶりでしょうか、私は朝から鼻歌を歌っていたのです。
それは朝いつも同じ時間にテレビから流れる、ニュース番組の軽快なテーマ曲でした。

私はとても嬉しくなり、ひょっとして、もう酔うほどにお酒を飲んでも大丈夫なのではないかと思い、さっそくその日の夜、「もう、なるようになれ!」と、家内と一緒にしこたま酒を飲みました。
何年ぶりかのすごくたのしい夜でした。

もし苦しい症状が出たとしても、「私にはあのプログラムがあるんだ。」と
魔法のランプでも持ってるかのような安心感がありました。

そうです、私にとっては魔法のランプだったのです。

翌朝、やや緊張気味で目を覚ましました。
二日酔いのだるさがありましたが、あの独特の打ちひしがれた感じの重さと息苦しさをまるで感じることがなかったのです。

私はその日の午後、先生のクリニックを訪ねてこのことを報告しました。
私自身、嬉しくて仕方なかったのです。
意外な事に、先生はこのようにおっしゃいました。




先生
「あかん、あかん、効果が出て嬉しいのはわかるけど、そんなに急いで治してはいかんよ。一直線で改善させると、リバウンドがあるよ。ダイエットと一緒や、ハッハッハ!」


「では、治ってないんですか?」

先生
「治っていく過程だよ。よくなったり、悪くなったりしながら改善されていくから、大丈夫じゃよ!」


「なるほど。また症状が出ても、それは快方に向かってると…」

先生
「そうそう!せっかく効果が出てるのにそこで諦める人もいるから、いつまでたっても治らんのじゃ。」





私は、本当に心の底からその通りだと思いました。
それはこのプログラムを信じていたからです。
そして、この先もトレーニングを続けていく自分を信じていたからです。


それからというもの、私はこのトレーニングを続け、あれだけ頑固だったうつ症状
パニック症状がほとんど繰り返されることなく、日に日に改善されていったのです。

つまり私が思うには、





現在、医療機関によるうつ病治療の現場は混乱しています。
治らない患者さんが多すぎるのです。

では、どうして治らないのでしょう?
ご本人は絶対に治したいはずです。
ご家族も藁にもすがりたい気持ちでおられるはずです。


私がパニック障害で苦しみ始めた当初、人のために身体を動かすことが
トレーニングの一つである、という考えで時間を見つけては、震災後の神戸の避難所
へ手伝いに行っていました。
実際、人のために自分が動くということは、心の病気の改善には非常に効果的な方法
なのです。

ある日、小学校の体育館で「心のケア」と称して震災後の避難所を回っている精神科医に出会いました。
私は誰かにパニック障害の事を聞いて欲しかったので、少し時間をいただいてこの方に相談してみました。

ところが、途中から私はその精神科医の話を一方的に聞く側に立っていたのです。

いかに自分は今まで多くの人を助けてきたか、とか、
この震災で自分を必要とする人がいっぱいいるはずだ、とか、
自分はこの時のために勉強してきた、とか、
「被災地はあなたの発表会の場ではありませんよ!」
危うく言いかけるところでした。

その時はこれが「心のケア」の現状か、と悲しくなりました。
他にも大勢の「心の専門家」と名乗るご同業者がここぞとばかりに「心のケア」の
押売りにいらしてましたが、私の考えが正しかったのは、
これらの方々と、自分が患者としてこれ以上の関係を築かなかったことだと思っています。

うつ病の治療は、苦しんでおられるご本人、そのご家族とこころを通わすことから始まります。

本当にそれが出来るのは、ごく一部の専門医と、
私のように同じ悩みを経験したからこそ、それをお伝えできるのだと、
そしてこの改善プログを実際に実践された方の結果から言えばおわかりいただけ
るのだと思います。

そしてすでに、このプログラムを実践し、「うつ病が改善された」と
いう方々から山のようにうれしい声が届けられています。
ここで全部をご紹介したいのですが、あまりにも沢山の声がありますので、ここでは
そのほんの一部をご紹介させていただければと思います。




山田先生、
この度はお世話になりまして本当に有難うございました。

息子の高校受験、見事合格です!

合格発表には家族みんなで行きました。信じられません。

何を言っても毎日家でゴロゴロばかりして、学校へも行かなくなっていた時期は正直、もう高校進学は無理かも、とあきらめたこともありましたがこのプログラムを少しずつ始めて2ヶ月がたった頃でしょうか、息子が机に向かっているのです。
私たちは目を疑いました。当初は毎日というわけにはいきませんでしたが、それからも徐々にですが机に向かう姿を頻繁に目にするようになりました。

親としてはもうそれだけで十分だったのですが、あまりにも真剣に勉強をしている姿を見ると逆にまた心配になってしまうありさまでした。山田先生がメールでいつもアドバイスしてくれていた意味がよくわかりました。

「すぐに改善の効果が出るかもしれませんが、すぐに治そうとしてはいけませんよ。」
始めは、なぜ?と、主人と考えたのですが、
先生がおっしゃるように、あまりに私たちが喜ぶ姿を息子に見せるということは、あの子自身、今以上に頑張らないといけないんだ、という気持にさせてしまい、焦る事で改善への順序を一つ飛ばし、二つ飛ばしで進んでしまうことになりかねないということだったんですね。

今はある程度、「なるようになれ!」って、自然にまかせるように努力しています。本当に有難うございました。
これからもお世話になります。

石川県金沢市  橋本 幸子様 45歳










山田直樹様、はじめまして、
私は2007年に起きた、新潟県中越地震に被災し、その後家内と二人、仮設住宅に入居し始めたのですが、そのころから急に人と話すのが嫌になりましたり、またある時は、人にあることないこと文句を言っては勝手に怒り、食欲もなくなり、自分ではどうしてよいものかわからなくなっていました。

妻のすすめで病院へ行ったのですが、そこでもらった薬を飲むたびに吐き気や目まいがして、治る気がしませんでしたので飲むのをやめてしまいました。

そんなとき東京に行っている娘から、山田直樹様の本が送られてきたのです。
しかしそれは申し訳ないことに、長い間、読み終えた新聞紙にまぎれて放ったらかしの状態でした。そのくらい何もする気力がなかったのです。

ある日、なんの気なしにそれを見つけてページをめくってみると、山田様も地震に被災されていたということを知りました。
毎日少しずつでしたが読み始めると、これなら今の自分でもできるのでは、これもひょっとしたらできるのでは、と、ですが最初はなかなか行動に移すことができませんでした。そのうち何を思ったか、家内が本に書いてある体操を始めたのです。

毎日同じことをやっていました。私も昔はよくゴルフをしていましたので、そんな簡単な動かし方で効果などあるはずがない、と思って家内のする体操を気にも留めませんでしたが、始めて一週間ほどたったころでしょうか、あれほど頑固だった家内の肩のコリがとれたというのです。

家内の嬉しそうな顔を見て、「これは嘘ではないな。」と思い、
その日から一緒に始めたのです。
すると日増しに億劫さがなくなり、長らく感じたことのなかった空腹感がもどってきたのです。そしてご飯を食べようという元気が出てくるのです。
本を送ってくれた娘に感謝するとともに、偶然とはいえ、不思議なご縁でお知り合いになれた気がして嬉しく思っております。
ここ、新潟の地よりお礼まで。

新潟県長岡市  吉田 輝夫様 68歳










山田さん、お元気ですか!
沖縄の金城です。
私たちの体験談を是非これからこの商品を購入される方にお聞かせ下さい!

私たち夫婦は、このうつ病改善プログラムのことを「最後の秘密兵器」と呼んで、
毎日楽しく一緒にトレーニングを行っていますよ。
その呼び名は私が付けたのですが、私は5年前に友人と作った会社を倒産させてしまい、そのストレスでうつ病になってしましました。沖縄ブームに乗って、厳選した地元食材を全国へ販売しようとしたのですが、当初の計画とは大きく食い違い、あっという間に資金が底をついてしまったのです。ところが、うつ病になった私の世話をしている妻までもが、半年後にうつ病になってしまい、人に紹介された病院へ行ったり、
このような商品を、買っては試し買っては試し、ということを繰り返していたのですが、一向に良くならず、「もうこれで最後にしようや。」と決めて山田さんのプログラムを購入しました。
始めてすぐに、脳を修正することって、こんなに簡単で、こんなにワクワクするのかと、目から鱗状態でした。そしてこの日記。こんな考え方で日々の出来事をとらえて文字にするってことは、今まで誰からも聞いたこともなく、私たち自身も初めてのことでした。
このまま日記を付け続ければ、また事業を起こせそうな気がするのです。
そして完全完治にとらわれないからこそ、そこへの近道が見つかるという節は、
何十回も読み直しました。
本当にこの商品はうつ病改善の「あきれるほどの効果がある」プログラムだと思います。
このプログラムは改善した私たち夫婦からのおすすめです。

沖縄県糸満市  金城 豊・美智子様










先ほどから何度もお話している通り、この新型うつ病改善プログラムは毎日9分のトレーニングで十分です。

この方法は非常に簡単なので、中学生でも高齢者の方でも出来るようなプログラムになっています。

簡単なので「根気」はまったく要りませんし、トレーニングを実施するストレスなんかもまったく感じずに続けられると思います。むしろ楽しくてついついやり過ぎてしまいますから、くれぐれもそこは申し上げましたとおり焦らずに、マイペースでお願いします。

好きなときに、好きな場所で、人知れずこっそりと行なうことだってできます。


私は以前、闘病中に複雑に書かれたうつ病改善のマニュアルらしきものを見せられたことがありました。かなり分厚く、難しい言葉が散りばめられていたので、それを読むこと自体がまずは大変でした。
まさに本屋さんで売っている、医者が読む専門書のようなものでした。

読むのに時間がかかり、さらに読み終わった後には何も覚えていない。

「こんなの読ませて何か意味があるのだろうか・・・」

と、疑問に思ったことを今でも覚えています。

私は今回あなたに伝えたいことは、「1日9分」という時間を使った
「新型うつ病改善トレーニング方法」です。

その9分をより効果的に、よりストレスなく、そして楽しく実践していただくことが
私の本来の目的です。


そのため私のプログラムは、伝えたいことをストレートに、そしてよりシンプルに書かれています。

専門家が使うような難しい言葉、法則などは私のマニュアルには一切存在しません。

むしろ、そんなものが含まれていたのなら、私から生きる力を奪った
あの「うつ病」が改善しているはずがありません。


実際に既に新型うつ病改善プログラムを実践し、うつ症状が改善された方も、はじめはシンプルすぎて本当に治るのか正直不安だったと言います。

ですが、

私自身が改善され、そして「うつ」の改善者からの喜びの声が後を絶たないのです。

その内容の一部をご紹介させて頂きますと…

など、プログラム内に含まれる内容の一部をご紹介させて頂きましたが、
実際のプログラムには他にも多くの内容がびっしりと詰まっています。

私がうつ病を改善し、さらに研究を重ねて完成させたトレーニングです。
今回その全てをこのプログラムに詰めこみました。

このマニュアルは、このような冊子としてあなたのお手元にお届けさせていただきます。
(品名の部分には「書籍」と記載してお送りさせて頂きますので、
外見からはうつ病関係の書籍とはわからないように配慮しております。)

(全132ページ)
是非この新型うつ病改善プログラムを使い、いち早くうつ病を改善してくださいね。

※当商品は全ての方に効果があることを保証するものではありません。
病気には様々な症状・病状があり、効果には個人差があります。




ここで興味深い逸話をひとつ紹介させて下さい。

昔、ある村に大きな川が流れていました。
水も綺麗な川で、村の子供たちにとっては絶好の遊び場になっていました。
ところがある時、一人の子供が川で遊んでいて深みにはまり流されてしまい、
大きな岩に体をぶつけて大ケガをしました。

大人たちは子供をすぐ家に運び、薬草などで手当てをしましたが傷は思ったより深く、
子供は危険な状態になっていました。

村人たちは集まって相談し、「この村には診療所がないので、診療所を作ろう」
ということになり、さっそく診療所を建て、隣の大きい村から呼ばれたお医者さんも常駐する事になりました。

村人たちは見たことのない治療道具や薬を見て、
「これで子供が川でケガをしても大丈夫だ!」とみな安心していました。

ところがしばらくして、また子供が川で流され今度は溺れてしまいました。
そして助けに入った大人も一緒に死んでしまったのです。村人たちは頭を抱えました。
そして、川に柵を立てて子供たちが入れないようにしました。
しかし、しばらくして、柵を乗り越えて川に入った子供がまたしても流されてしまう事故が起こりました。

村人たちはさらに頭を抱えて悩みました。
そこへたまたま、この村を通りかかった旅人にこの話をすると、
旅人は次の日から村人や子供たちに、あることを教え始めました。

それは、泳ぎでした。なんと、この村の人は誰一人、泳ぎが出来なかったのです。
川の柵を外し、村人たちはみな根気よく泳ぎを覚えました。
そして以前のように川で子供たちが元気に遊ぶ光景がもどってきたのだそうです。


身体が悪くなったり、ケガをしたりすると、たいていの人は病院へいって治療を受け、薬をもらって飲みます。

事前の予防法や防止法を知らなければ、何回も同じことを繰り返してしまいます。

つまり、この新型うつ病改善プログラムで、泳ぎ方を練習していただきたいのです。

実際に泳ぎができない人が泳ぎをマスターすることは大変なことです。
顔を水につける練習から始まり、力を抜いて浮かぶ練習、ひたすらバタ足だけを練習する日もあるでしょう。

そしてようやくクロールのまねごとにたどり着くのです。

私自身がうつ病の改善をしてきた中で感じているのは、うつ病治療の研究だけをしてきた人と、自分がうつ病になって改善方法を研究してきた人とでは、実際にうつ病を改善してきた人からのアドバイスの方が、効果ははるかに大きいということなのです。

このプログラムでの泳ぎ方は、私自身がもがくところから、そして選手並みに泳げるようになり、その上で人にお伝えできるまでに完成させた方法です。
病院や薬にばかりに頼っていては、いつになっても泳ぐことはできません。

この逸話のなかでは、泳ぎを覚えるということが、最大の治療と予防になるのです。

そして、このような泳ぎ方を伝えるうつ病改善商品は他にもたくさんあります。
どの商品も、それぞれに独自の泳ぎ方を案内されているのだろうと思います。

泳げない人に、いきなりバタフライから!…なんて商品はないと思いますよ。

だから私は、他の改善商品はダメ、騙されてはいけません!
みたいなことを申し上げるつもりは全くありません。

それよりも、それだけ他にも改善商品がある中で、あなたとここでお会いしたというご縁を大切にさせていただきたいだけなのです。

うつ病にはいろんな症状があり、人によって痛みの度合も様々です。
ですので改善のペースも、納得される改善レベルも当然異なります。
しかし改善するからには、ご本人も周囲の方も、「よく頑張ったね!!」
と、拍手喝采で喜びあえるレベルまで改善したいと思うのは当然です。

その、「よく頑張ったね!!」と喜ばれる、その改善レベルまでの到達に必要なものは何なのでしょうか?
根気、協力、忍耐、目標、応援、たくさん思いつきますが、
何よりも重要なもの、
もがきながらも50メートル泳げて喜ぶ人、500メートル泳いでもまだまだ先へ進める人との違い、
それは、誰にどんなフォームの泳ぎを教えてもらったか、なのです。

私のプログラムでは、
何時間泳いでも疲れない正しく綺麗なフォームの泳ぎ方を、
短期間に覚えていただくことが可能なのです。


正しく綺麗なフォームとは、身体の様々な角度から研究され形成されています。

これはこの新型うつ病改善プログラムと同じなのです。

ここで、最初にこの改善プログラムが他では知ることのできない、
正しい改善方法と申し上げました理由をご説明しましょう。
それは、『脳』『身体』『心』『環境』これらそれぞれを整える事によって
再発しないうつ病改善へとアプローチできる方法をお伝えしているからなのです。



私の、新型うつ病改善プログラム最大の特徴はここなのです!

正しい改善方法であり、他の改善方法とは少し違うことを実感していただけるでしょう。

そしてようやく自信を持って、このプログラムをあなたにお薦めできるようになったのです。
この新型うつ病改善プログラムは、日々うつ治療に取り組んでおられる、多くの専門職の方々にも是非手にとっていただきたい一冊です。

そして今回は、お一人でも多くうつ病を改善させてあげたい、という私の強い思いから、どなたにでも購入していただける価格にしました。

価格は配送版の場合12,000円(送料・製本代の2,000円込み)
ダウンロード版の場合は商品代金の10,000円となります。

このプログラムを10,000円で購入してしまった後には今後一切お金はかかりません。病院やカウンセリングとは違い、毎回高額なお金を支払う必要はまったくないのです。
ちなみに私が現在いただいている、一回のカウンセリング料金は60分10000円(初回は15000円)ですが、60分ではこのプログラム内容を到底お伝えすることは出来ないのです。

その上でこの価格だけでも、にっこりすっきりしていただける価格なのかもしれません。
そして本来なら、これだけ内容が濃いトレーニング満載のプログラムであれば
この中の一部を抜粋し、購入される方へお得感を伝えるための「特典」とすることもできたはずだったのですが、
私が真剣に作ったプログラムが、そのような見え透いたお得感を付けることで価値を下げ、他商品とお得感の比べ合いの結果で購入いただくことがあるなら、それは本意ではなかったのです。

ですので、今回はすべて本編にしっかりと組み入れております。
メールサポートも一生懸命やらせていただきますよ。

それよりも、
この新型うつ病改善プログラムを一人でも多くのうつ病に悩む方に伝え、
そして改善していただくことが、私にとって一番大切なことなのですから。

あなたにいち早くこのプログラムを実践していただき、うつ病を改善し、
一家団らんで笑顔あふれる幸せな生活を過ごしていただきたいと心から願っています。

新型うつ病改善プログラムはこちらから簡単にご購入いただけますので、どうぞ今すぐ活用し、苦しみとストレスのない幸せな人生を手に入れてくださいね。






私は今までうつ病、パニック発作を改善したいがために、入院や高額な改善トレーニングをしてきたことはもうすでにお伝えしましたよね。

私はそんなうつ病の方の気持ちが痛いほど解るので、お金を出すという行為にストレスを感じてほしくないのです。


だから今回あなたには全額返金保障を付けることにしました。


これは私にとって正直リスクが大きくかかることですが、ご本人、ご家族の真剣な気持ちをどうしても優先したいという気持ちが勝りましたので、今回このような保証をさせていただくことにしました。






私、山田直樹は、あなたがこのプログラムを購入するに当って、あなたに3つの約束をします。


1.まずはこの新型うつ病改善プログラムに沿って、1日9分の簡単なトレーニングを実践してみてください。
もし実践してから90日が経過しても、実践前となんら変化が見られない場合はメールにて返金要請後、私へご返品ください。

ご返品確認後、10日以内にあなたの口座へご購入代金を全額ご返金させていただきます。返金要求先アドレスは、info■yamadashingata.com(■を@に変更してください。)山田直樹新型うつ病改善プログラム事務局までお願いします。

※ダウンロードで購入された場合は返金時に決済手数料の1000円をご負担願います。
※配送版でご購入された場合は、返金時に送料・製本代金2000円、決済手数料の1000円をご負担願います。


2.さらに、返金保障の期間はご購入された日から180日まで可能です。半年間という長い期間がございますので、焦らずじっくりとこのプログラムを実践してみてください。それでもこの新型うつ病改善プログラムの効果を感じられない場合は、全額ご返金させていただきます。
返金要領は先ほどご説明した1番の内容と同様となります。


3.また、たとえあなたが返金を申し出てこられたとしても、みなさま方ご家族は私の手紙を読み、それに共感してくれた、かけがえのない仲間であることを誓います。



この3つの約束をあなたとすることは、正直に言うと私にとってかなりのリスクが伴います。ですが私はこのプログラムを使って一人でも多くのうつ病で悩む方を救いたいと心から願っているため、今回覚悟を決めてこの保証をつけました。

この保証をつけることで、あなたには先々の不安を抱えることなく安心して実践していただけることと思います。








そして今回、それでも「不安」に思うあなたの為に、
私が直接あなたの悩みにお答えする、

をおつけさせていただきます。
60日間、回数無制限のメールサポートです。

いかがでしょう、このお約束で心おきなくうつ病改善に取り組んでいただけるかと思います。
是非この新型うつ病改善プログラムを使い、長年苦しまれたうつ症状を改善し、幸せな人生を歩んでください。

新型うつ病改善プログラムはこちらから簡単にご購入いただけますので、どうぞ今すぐ手に入れてくださいね。











闘病中は誰しも苦しく不安です。
なぜ自分だけこんな病気になったのか、とさえ思うこともあるでしょう。
しかし、その病気を克服した多くの人はその病気になったことに感謝します。
その病気によって、普通であることの幸せ感、人の気持ちや思いやり、今まで感じ
ることのなかったことにまで感謝の気持ちを表わせるようになるのです。


準備はいいですか?うつ病を改善されるあなたはすぐそこですよ。

長くなりました。
そしていっぱいお伝えさせていただきました。
ここまで読んでくださいまして本当に有難うございました。
私は心からあなたの幸せな生活を待ち望んでいます。

そして、必ずその日が来る事を確信しております。

最後になりましたが、
とてもいいご縁であなたとこうして知り合えたことを本当に感謝しています。
では、笑顔いっぱいの皆様と、またいつの日かお会いできることを楽しみにして
います。





うれしい声が本当にたくさん寄せられます。
本当に本当にありがとうございます。
この声を励みに、これからも頑張っていきたいと思います。




山田さん、先日はご回答有難うございました。

あれやこれやと、今までいろんな呼吸法を学んでしまったため、
山田さんのおっしゃる呼吸法も同じ要領だろうと、勝手な判断で母に教えていました。
ため息が、人間の本能でリラックスできる呼吸法の基本になってるなんて、
目から鱗でした。
山田さんを友達に紹介していただいた時は、すでに別のうつ病改善商品を購入して
しまった直後で、顔写真入りの体験者さんの声に心動かされていろいろ買ってしま
ったのですが、よくよく考えると、うつ病になった人がいくら克服できたからって
自分の顔をネットに載せるなんてそうそうありえませんよね。
でもまぁ、ちゃんと内容のある商品だったので今も参考にはしています。
そのような別の商品内容の質問までしてしまって、申し訳なく思っています。
それでもご自分の商品をすすめることなく、僕の質問に答えてくれた山田さんには
本当に感謝しています。その話を母にしたところ、「その方の商品を是非買いなさい」
とのことで、今回購入させていただきました。これで我が家には、同じたぐいの
商品が三つあります(笑)
お陰様で母の具合もずいぶん良くなってきました。
最近は、僕が一緒にやらなくても、一人で体操に取り組んでいます。
自分で手書きの表なんかも作って、すごくいきいきしてきたように見えます。
これからも、他の商品の質問メールとかしてしまうかもしれませんが、
懲りずに末長くよろしくお願いします。

大阪府大阪市橋本隆士39歳









三年前、私は自分の夢をかなえるため青森から東京に出てきました。
初めての独り暮らしをしながらの仕事だったのですが、仕事も楽しく職場の人間関係にも恵まれ、自分ではとても順調だと思える日々を送っていました。
ところが、ちょうど一年前くらいに社内で突然の異動を言い渡されました。
その異動は「なぜ私が?」と思うような部署への異動だったのです。
あんなに頑張ってきたのに、私の何がダメだったのか、その時は自分自身が否定されたような気持になりましたが、事例なので従うしかなく、しぶしぶ新しい部門での仕事を始めました。
新しい仕事に慣れなければ、と思うも、どうしても気持ちが以前のように乗らず、仕事にも集中できず、どうしても異動を言い渡された時に感じた、否定されたような気持が頭から離れなかったのです。
寝ても寝ても疲れがとれず、気がつくと昼ごろまで寝てしまい、そのような理由で欠勤を何度か繰り返しました。
ところがある日、大学時代の友人から誘いの電話があり、懐かしさもあって、リフレッシュするつもりで買い物や食事をしました。
でも、その時は仕事のことなどは頭から離れ、とてもウキウキしているのです。
ところが家に帰って一人になると、とたんに明日会社に行くのが憂鬱になるのでした。
会社ではいつからか、そんな私に「仮病」というレッテルを貼るようになり、
本当に体調が悪くなるのに誰も信じてくれず、結局はそのまま退職することになったのです。
そんな時、この新型うつ病改善プログラムを見つけたのです。
一人で取りくむのには無理があるのかな?と思って始めたのですが、やってみると、
日に日に鏡の前の自分の表情がどんどん変わっていくのがわかるんです。
もう半年早くこのプログラムに出会っていれば、と思うこともありますが、
それより今は前向きになって、また新しい仕事探しを始めています。
そして、夢に向かってもう一度チャレンジしようとする元気すら出てきたのです。
あきらめかけていた私の夢、
行動を起こして本当に良かったと思っています。

東京都世田谷区谷恵美子26歳









32歳の主婦です。
その時は自分がうつ病といわれる病気なのかどうなのかわかりませんでした。
病院には一回も行ったことがなかったのですが、
自分ではパチンコ依存症、くらいに思っていたところ、気がつけばかなりの借金をしてしまっていました。
パチンコをしている時はとても気分がよくて、その他の時間、特に夕方家にいる時は
毎日わけもなく泣いていることが多かったのです。
見かねた旦那が山田さんの新型うつ病改善プログラムを購入しました。
あの方法で「場」を作って以来、観葉植物の成長が驚くほど良くなっています。
ということは、生活している人間にも絶対にいい影響があるんだということが
よくわかりました。
そしてもう一つ、逃避手段で通っていた占いには、すっぱり行かなくなりましたよ。
なぜ占いに行ってはいけないかという、プログラム内での綴りは、まだそんな事にお金を使っている人たちに見せてあげたいものです。
この調子でパチンコへも行かなくなるんでしょうね。
今がひょっとして一番しんどい時期なのかもしれませんが、頑張って続けますね。
これからも応援よろしくです!

岡山県倉敷市大谷春美









会社からの紹介で精神科クリニックを受診し、うつ病と診断されたのは1年前でした。
その時すでに6ヶ月休職しており、時間ばかりが無情に過ぎ、クリニックでもらう薬を飲んでも一向に良くならない状態でした。
「休養しなさい。」と医者に言われて休養するも、休めば休むほど気力がなくなり、
生きていることすら面倒臭くなっていました。
どうしてこうなったのか、原因はいまだにわかりません。
ある日、会社で怒ったことのない私が、気がふれたように部下を叱りとばしたことがきっかけでした。自己嫌悪に陥り、ストレスから過食の日々が始まりました。
60キロだった体重が数週間で75キロになり、その後も増えつづけ、最高で95キロまで肥ってしまいました。
決まってガツガツ食べたのは、焼肉とインスタントラーメンでした。
そんな時、家内からこのプログラムの話を聞いたのです。
一通りは読んだのですが、実践してみよう!とは全く思いませんでした。
そんな気力もありませんでした。
ところがある夜、経験したことのないような動悸と呼吸困難が私を襲ったのです。
太りすぎが原因かと思いましたが、その後別の病院へ行き、私のうつはパニック発作を併発させるタイプであることがわかりました。
発作の不安は、無気力だったうつ症状を忘れさせるほどの恐怖でした。
プログラム作成者の山田様もかつてはその症状で苦しまれた経験を持つ方だったことを思い出し、すがるような気持ちでトレーニングを始めました。
家内と相談の結果、まずは発作の恐怖をなくすトレーニングと、朝食抜きを実践しています。昼前の空腹感が爽快で、その時間に脳トレをしています。
不思議と空腹感がある時は、発作の恐怖がありません。山田様がおっしゃることのつじつまが線になってつながってきました。素晴らしいです。
もう数ヶ月発作はありませんし、体重も少しずつですが減って来ました。
もう病院へは行くことがなさそうです。これからも焦らず頑張ります。

奈良県郡山市長谷川和秀40歳






最後にもう少しだけお話しさせてください。
これまで「私の改善プログラム」という言葉を使ってきましたが、私一人で完成できた方法ではありません。
この方法を検証し実践できたのは、これまでに私を信じてこのうつ病改善プログラムを購入いただいたたくさんの方々のおかげなのです。

その方々が、「先生、主人の病気が治りました!」「息子が学校に行けるようになりました、本当にありがとうございます!」
喜びの声を届けてくださり、そして「これからもうつに悩む方の力になってあげてください」と
励ましていただいたおかげでこのプログラムが存在するのです。

そして私がうつで悩んでいた時、このプログラムの根幹となる部分を伝授してくださいました精神科の先生がおられました。先生は一昨年末、静かにその生涯に幕を下ろされ天国へと旅立たれました。
あなたにこのプログラムをお伝えすることは、そんな「先輩方」の願いでもあるのです。

だからこそ、私は今回、責任を持って執筆させていただきました。

どうぞ、このプログラムで、あなたに幸せが訪れますように。
そして人が、社会が、地球が変わり、いつの日かこのような病気で苦しむ方のおられない世の中になることを願って、終わりとさせていただきます。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。



※当商品は全ての方に効果があることを保証するものではありません。病気には様々な症状・病状があり、効果には個人差があります。
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